※本記事はRunners Pulse webサイト(2019.03.19.20)に公開された「ALTRA(アルトラ)のルーツを探る、ソルトレイクシティの旅!Vol.1・2 (Photography by SHIMPEI KOSEKI Text by MASAHIRO MINAI)」を再編集した内容となります。
2010年、ブライアン・ベックステッドは後にALTRAブランドの代表作となる「ローンピーク」のプロトタイプを履いて、様々な山を走り、トレイルレースに参戦し、好成績を収めた。
2011年のワサッチ100マイルレースでは、私財をつぎ込み、全てを注ぎ込んだ自信作のトレイルシューズで、膝の痛みや腰の痛みに悩まされること無く、快適に走り続け、100マイルレースを完走した時に、「間違いなく史上最高のトレイルシューズが出来上がった!」と確信して涙を流した。当時二十代の若者がシューズブランドを始めるなんて、夢物語でしかなった。
スポーツマーケットは近年、大手メーカーが独占し、莫大な資本をバックに無尽蔵につぎ込むマーケティングバジェット。そのマーケティングバジェットの大きさと相関するシューズの売上。当然「資本至上主義」のアメリカでは資本の大きさが成功の鍵となっていた。成功するためには、科学的に裏付けられたその商品の圧倒的な「優位性」と他社には真似できない「独自性」が求められ、それを伝えられるだけの「情熱」と「チャンス」が必要とされた。創業者の「ブライアン・ベックステッド」と「ゴールデン・ハーパー」は業界では誰も知らないユタ州の田舎町に住むただの少年でしかなかったが、ついにシューズブランドの創業までこぎつけた。この話をする時ブライアンはいつも言葉に詰まり、その時の思い出がフラッシュバックしてしまうほどの熱い思いが詰まったシューズとなった。
ALTRAを初期から愛用しているユーザーならこのシューズを見て懐かしく思う方も多いでしょう。
当時トレイルシューズといえば、後足部と前足部のクッションが10mm以上もドロップ差があるシューズが主流で、ミッドソールも固く、安定性とアッパーの強度は強いが、その代償として足の自然な動きを妨げる物でした。
この初代ローンピークは極めて斬新なアイデアでデザインされ、多くのトレイルシューズのユーザーから支持され、ALTRAフットウェアブランドの代名詞と言えるシューズとなり、このシューズからALTRAの歴史が始まった。
Photography by SHIMPEI KOSEKI
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